気まぐれ日記 2015年6月
2015年5月はここ
6月1日(月)「ビジネス本に注力の1日・・・の風さん」
昨日より少し気温が低そうである。ビジネス本の原稿の挽回に挑まねば。
ということで、朝から雑務を着々とこなし、途中で次女を郵便局まで送ったりしたが、遅い昼食時までにはビジネス本の仕事以外はほとんど終了した。ここで昼寝してしまうと一日の計画がおじゃんになってしまうが、幸い、今日はそういうこともなく、順調に仕事は進んでいった。
今日は裏の土地の除草作業のためにシルバーさんに来てもらっている。自分でやれば頼む必要はないのだが、今の私にはそれだけの体力はとてもない。しかし、いつもお願いしているシルバーさんは私よりもご高齢である。軽トラでやってきて、丁寧に除草したあとはグリーンセンターまで運んで処理もしてくれる。趣味でなく、ちゃんと仕事としてやってくれているのだが、頭が下がる思いだ。
何とかビジネス本の原稿を2セクション書き上げて、午前1時半に就寝できた。
明日もこれくらいやりたいものだ。
6月2日(火)「4ヶ月ぶりにトレーニング・・・の風さん」
午前中に宅配が届くので、寝坊しているわけにはいかなかった。いつものように私ひとり留守番だ。
宅配に続いてゆうパックも届いた。無事に受け取れてひと安心。
ところが、今日も体調がイマイチ。これでは仕事がうまくいかないと、とうとうトレーニングに出かけた。
5回通った1月以来である。ワイフとウォーキングをしていた期間もあるが、久しぶりだ。
ウィークデーのお昼過ぎということで、今日の一番乗りかと思ったら、先客が10人もいた。おばさんがほとんど。ランチだけじゃないんだ〜。
へろへろ状態だったが、昨年11月に丸3年間のブランク後にやった時より数値は良かった。体重は2キロ近く低いし、心肺機能の数値もピークの38%より少しマシな46%だった。
帰宅してからインスタントラーメンを食べ、その後昼寝することなく、仕事に集中することができた。
今日は非常勤講義の準備だけ手をつけることができず、就寝は午前1時半。
6月3日(水)「重たい気分・・・の風さん」
睡眠十分で起床。爽快な気分……と言いたいところだが、両腕のかぶれが悪化。土曜日の除草作業のとき、雑草の葉っぱで擦り傷がたくさんできた。痒かったので、数日、痒み止めの軟膏を塗っていたが、的外れの処置だったようで、じんましんのように、赤いポツポツがたくさんできていた。仕方がない。抗アレルギー錠を服用した。それにしても虚弱体質だな。
最近芸能人の訃報が多いが、朝刊を見たら、「あなたのブルース」の矢吹健が、この1月に死んでいたという。中学校時代の思い出の曲と歌手で、カラオケでもさんざん歌っていた。詳細記事をネットで確認すると、1999年に息子さんに先立たれ、その後、奥さんが自殺して、近年は孤独な生活を甲府市で送っていたという。甲府市? そうだ。一昨年の全国和算研究大会で行っていた。
私の中学時代の思い出が、何となく遠ざかって行くような寂しさを感じた。合掌。
小雨の中を、次女を駅まで送って行った。
……と、今日は地元のやすらぎホールの説明会があったことに気が付いた。すっかり忘れていた。施設を見学し、両親を見送った福島県の施設と似ていたら、会員になろうと思っていたのだ。え? 誰のため? 自分のためだ。
今日は頑張って、ビジネス本の原稿を2セクション仕上げ、遅れを挽回して少し先行した。
両腕のかぶれは落ち着いている。
6月4日(木)「狐と遭遇・・・の風さん」
トレーニングのおかげか、何とか頑張りが継続している。
午前中、次女を駅まで送って行ったが、その直前に、家の中にバッタがいたと言って次女が騒いでいた。サンルームにも死骸があって、どこから侵入してきたのか全く不明。
いつも通り昼食抜きで講義に出発。窓を全開にしていればエアコンは不要だった。
講義はスムーズに行ったが、用意してきたExcelの解説をするのを忘れた。ちょんぼ。こういうケアレスミスは、これから増える一方なんだろうなあ。やれやれ。
往復の電車では文庫を読んだ。……が、帰りに、つい目をつぶったのが運の尽き。また乗り過ごして戻る羽目に。
キャメロンに乗って窓を全開にしようとしたら、スイッチのプラスチックレバーが破損した。
近くのスーパーで買い物をしてから家路に。
家がもうすぐという団地内の道路で、目の前を子猫がゆっくりと横断して行った。
そこから50メートルも走らないうちに、今度は何やら妖しい動物が横切った。渡り終えて、立ち止まると、こちらを見ている。目が合ったかもしれない。直後、ビックリ仰天。狐だった。とがった顔から長くて太い尻尾といった特徴は、おとなになった狐だった。ここ知多半島では今でもときどき発見がある。野生の狐である。きっと何かいいことがあるに違いない。
今夜も頑張って、ビジネス本の原稿を2セクションこなした。確かにいいことがあった。
6月5日(金)「盛り上がった同期会・・・の風さん」
朝から雨だ。天気予報通りだが、外出する日はうっとうしい。夕方から会社の同期会があるのだが、ワイフがアクアで行こうと言い出した。天気も天気だし、あいかわらず腕のかぶれは治らない。アルコールなぞ飲んだ日には、とんでもない状態になるに決まっている。往復とも運転することにした。
出発まで必死にビジネス本の原稿に取り組んだ。迷っていると進まないので、下書きのつもりでどんどん書いた。
いよいよ出かける時刻になったが、相変わらず雨。腕もポツポツは治っていない。
週末なので、退社ラッシュと重なり、道路は混んでいた。
幹事なので、予定の30分前、一番乗りできて安心した。協力者もいて、今日はスムーズに始めることができた。
次第にメンバーが拡大している同期会だが、学校の同窓会のように打ち解けている。その中で、実は初めての出会いも演出してあったのだが、良い出会いになったようだ。主催してよかったと思った。
午後11時近くに帰宅し、やっと落ち着いてコーヒーを飲んでから、ビジネス本の原稿の続きをやった。
さすがに完了しなかったが、明日への望みはつながっている。
就寝は午前2時半。外ではまだ雨が降っているようだ。
6月6日(土)「恐怖の納税通知・・・の風さん」
今日は他のことは犠牲にしてでもビジネス本の原稿を進めようと思った。
とは言え、やれそうなことはやる。朝食後、リンガフォンのテープを聴いた。だいぶ難しい。よくこんなのやったな38年前くらいに。
気まぐれ日記の更新をしてから、いよいよ執筆。昨日、かなり下地はできていたので、本当ならすぐできなければならない。それがすぐできなかった真の理由は、そもそもの設計図に問題があったからだ。それで、原稿の前の方、つまり以前書いた原稿も含めて修正しているので時間がかかっている。
午後、郵便受けをチェックしたら、とうとう納税通知が届いた。昨年、衝撃を受けた通知である。しかも、追徴と合わせて2度。
恐る恐る開封してみたら、ビックリ仰天、どういう計算をするとこうなるのか。昨年の10分の1以下になっていた。1年前はまだ会社員としての収入を引きずっていたので、その影響はまだあるかと思ったのだが、ものの見事に年金生活者扱いになっていた。急に目の前が明るくなってきた(笑)。すぐにログにいるワイフに報告した。喜ばれる以上に、今日まで不安で死にそうだった私の気苦労をねぎらってくれた。とは言え、メカニズムを推定すると、来年は増えそうだ。
それから急に元気が出て、執筆に力が入った(笑)。
が、結局、就寝は午前2時45分。3セクションを書き上げた。
6月7日(日)「消火訓練・・・の風さん」
8時45分起床。昨夜執筆の無理をしたのは、今日は朝から消火訓練があるからだった。
近くの地面に埋め込んだ消火栓のところで30名ぐらいが集合し、ホースと筒先をつないで放水の練習をした。
続いて、最も近い団地内の公園にある防災倉庫から2サイクルエンジンのポンプを引っ張り出して、水槽まで運び、また放水の練習をした。今日は団地内の3ヶ所で訓練が同時並行で開催された。組長の私は、防災部に所属しているので、今後もこういった行事に関わっていくことになる。
それにしても、人口減少が進む中、団地内の人口密度が低下しても、点在する防災関連設備(消火栓など)を減らすわけにいかず、将来、どうやってメンテしていくのか、非常に気になる。最後は全戸立ち退きか、な。
昼過ぎに終わって帰宅し、昼食後、次女そしてワイフが相次いで帰ってきた。いったん次女をコンビニまで送迎したが、疲れたので昼寝した。
目覚めてから、調子が出るまで、いつも通りの雑務をこなしていった。
就寝は午前3時。ビジネス本の執筆は1セクションだけ、なんとか終えた。
6月8日(月)「夕方までパワー出ず・・・の風さん」
昨夜はすぐ爆睡できず、睡眠不足のまま起床。
外は天気予報通りに小雨が降っていた。しかも寒い。お気に入りのココナツオイル(認知症に効果があると聞いてワイフが購入)が白く固化している。24〜25℃が凝固点である。
辻真先先生から新刊が届いた。『未来S高校 航時部レポート』(講談社ノベルス)。前作の続きがもう出てきた。航空からの連想で航時か……、タイムトラベルだ。こういう新語を思い付くところが辻先生のすごいところだ。
たらたらと雑務をこなし、昨日に続いて非常勤講義の準備も少ししたが、ビジネス本の執筆パワーが出てこない。
例によって書斎でダウンした。
夕方、ココナツオイル入りのインスタントコーヒーを飲もうと階下へ降りると、ペコがまとわりつく。寒がりのペコなので、人肌のぬくもりが欲しいのだ。
コーヒーを飲んだらようやく元気が出てきた。
それから頑張って、今日は2セクションを書き上げたが、就寝は午前4時になってしまった。
だんだん活動時間帯がうしろへずれていく。やばいな。
6月9日(火)「半徹夜明け・・・の風さん」
11時起床。ブランチ後、キャメロンで外出。JAでお金をおろし、JPで振り込みを3件。
昼食後、勉強のため読書を少ししてから、非常勤講義の準備。少し厄介な内容になっている。
ワイフがなぜかモスバーガーに行きたいと言うので、夕食はそれにした。
子どもたちが小さいときは何度も利用したファーストフード。モスバーガーもその一つ。久しぶりだった。
よく食べたチリドッグがまだあったので、それにしたら、以前と変わらぬ辛さ。
行きは海岸線を走って、けっこう空いていたが、帰りはあえて山道。もちろん対向車もほとんどない。ついでに人家もほとんどないので夜は暗い。ドイツの田舎といっしょだ。
帰宅してからビジネス本の原稿に着手。
調子は出なかったけれど、とりあえず1セクションを書いてみた。就寝は午前1時。
6月10日(水)「バラの芽が出た・・・の風さん」
今日こそトレーニングに行きたいと思っているが、……ちょっと無理そう。
いつものように雑務を着々とこなしていく。月末のテレビ出演のために関孝和の再勉強をしている。今日はその3日目で、新潮選書の初期の原稿を読み直してみた。最終原稿の2倍はある。これをしっかり覚えておけば大丈夫だと思う。ところが、その初期原稿に間違いがあった。最終原稿には使われていないが、収録時に変なことを言わないようにしなければ。
午後、本来ならトレーニングに行く時間帯に書斎でぶっ倒れた。朝から花粉症も出ていたので、鼻炎カプセルを服用したため、一気に体がだるくなった。
夕方、幽霊のように起き上がったが、まだフラフラする。
コーヒーを飲んだら少し元気が出てきた。
次女からもらったバラの種だが、なんと、7粒のうちの1粒から芽が出ていた。
ビジネス本の原稿を1セクション書き上げ、その後、非常勤講義の準備の続きをやった。
就寝は午前3時。ダメだこりゃ。
6月11日(木)「バッチリ準備した講義でも・・・の風さん」
起きたら、小雨が降っている。天気予報ではそれほどひどくならないらしい。
午前中、いつも通りに目いっぱい雑務を片付け、昼食抜きで出発。傘は持たなかった。
地下鉄の本山駅を降りたころは雨が上がっていて、ここまでは順調。
準備はバッチリだったので、マイペースで講義をすることができた。途中で何度か学生(ほとんど留学生を狙い撃ち)に質問をしてみる。別に居眠りしているわけではないが、要領を得ない返事。やはり日本語が難しいのだろう。なるべく専門用語を使わずに講義をしているのだが。この悩みは今度田村先生に相談してみよう。
講義を終えて帰るころ、雨がひどくなっていたので、駅まで走った。
名駅ではすぐ乗り換えず、デパートで用事を一つ済ませた。それから駅へ向かってみると、いつもの電車に乗れた。ラッキー。
今日の往復の電車では参考書を読んだ。
帰宅して、ようやくひと息ついて、ホットタイム。
夕食後、今日の雑務は終わっているので、ビジネス本の執筆の続きに取りかかった。
何とか1セクションこなせた。
今日は走って疲れたし、明日は朝が早いので、早めに就寝。午前1時半だった。
6月12日(金)「僕はソナボケ・・・の風さん」
9時に光通信の工事業者が来るので、7時半起床。地元のケーブルテレビ局がなぜか通信の光化をしない。ずっと待ち続けていたのだが、とうとう我慢の限界となった。それで、テレビだけを残して、インターネットと電話を光通信に変更することにしたのだ。ネットはより高速化されて、トータルでコストも下がる。
心配していた雨もほぼ上がり、やってきた2人で、30分ほどで完了した。
インターネットの開通は自分でやることになっていたので、自分で始めたが、うまく行かなかった。仕方なくサポートセンターに電話して相談したら、予想外にも、リモートでルーターのセットアップをしてくれた。何となくパソコンを不正操作されたような変な気分が残った。つながっているということは、何でもやられてしまうということだ。プライバシーはないに等しい。そう思っていた方がむしろ安全行動を心掛けることになる(だろう)。
ワイフのアクアがガス欠寸前だったこともあり、昼食後、2回ガソリンスタンドを往復した。
午後は上天気で、光通信でネットにつながったのも気分が良く、夕方までにトレーニングに行きたくなったが、用心して昼寝した。
今日はワイフが長女とソナーポケットのコンサートに出かけている。長女がコーダイの猛烈なファンで、ワイフも巻き込まれた。
夜遅く帰宅したワイフはまだハイな感じでテンションも高かったので「僕はソナボケ(粗な惚け)」とクールな洒落を送った。
夕食後頑張って、とりあえずビジネス本の原稿を1セクション仕上げた。
6月13日(土)「ムカデが出現・・・の風さん」
昨日は長年使っていたシニアグラスのつるが折れるという不幸があった。構造的に決して丈夫そうではなかったので、不思議ではないのだが、先日は、キャメロンのパワーウィンドウのスイッチも破損してしまったし、あらゆる物体に寿命がないということはないのを実感する。身辺整理がままならない状態で、私も寿命が尽きつつあるのだが、よく考えてみると、毎日死の体験をしている気がする。毎晩、これでおしまい、と就寝するわけだが、このまま目覚めないという保証はないのだ。それだけの覚悟をして寝ているだろうか。まさか。……とすれば、毎日、このままかもしれないと思いつつ過ごすことは、もしかすると意味のあることかもしれない。
楠木誠一郎さんの新刊が届いた。シリーズものの3作目『子分は将軍様 因縁の血闘』(コスミック時代文庫)、完結編だ。私もこういったシリーズものに挑戦しかけて、そのままになっている。作業を復活できるのはいつだろうか。
今日はとにかく夢中でビジネス本の執筆に専念した。ただし、朝の雑務はそれなりにこなして、だ。
夕食時までに2セクション書き上げたのだが、信じられないことに、書斎の机の下からムカデが出てきた。初めてである。
生まれたばかりの小さなやつではない。ティッシュ2枚で捕まえようとしたが、逃げられた。
しばらくこいつと共存しながら仕事をすることになりそうだ。
午前1時までに執筆を終了。目標の3セクションを書き上げた。最後の1セクションはちょっと内容的に苦しかったけど。
6月14日(日)「ムカデも原稿も決着・・・の風さん」
午前9時起床。ビジネス本の原稿は、目標到達点まであと6セクションである。今日と明日3セクションずつ書き上げて完了させるか悩んだ。結局、コラムを除く5セクションを分析すると2セクションに統合できることが分かったので、今夜中に、コラム含めて3セクションを書き上げて、とりあえず中間報告することに決めた。
午後の休憩のとき、リビングでコーヒーを飲んだ後、書斎に戻ったら、部屋の真ん中でムカデが丸くなっていた。
すぐに用意しておいた割り箸と入れ物(プリンのカップ)を手にとって、ムカデに向かった。割り箸でつまもうとすると、大暴れ。しっかりつまんでカップに入れ、ティッシュで蓋をして階段を降り、外へ出た。
裏の土地まで行って地面に置き、ティッシュを慎重に外すと、ムカデがカップの中をうごめいていた。小さなカップなのだが、つるつるなので、斜面を登れない。足が百本あっても登れないものは登れないのだ(笑)。ムカデの長さは約5センチ。色は緑が主体。まだ子供の部類だろう。しばらく観察してから草地に逃がした。
ワイフに武勇伝を語ると、「きっとまだいるわよ」と物騒な返事。
晩御飯までに2セクションをまとめた1セクションが完成した。
午後9時から3セクションをまとめた1セクションに挑戦し、午前零時過ぎに完成した。
コラムを書き上げて、全体の見直しをし、メール送信も終え、入浴して就寝したのは午前4時だった。
ムカデと原稿と、今日は充実した1日だった。
6月15日(月)「一夜明けてまた半徹夜・・・の風さん」
11時までは寝ていたかったが、なぜか10時に起きてしまった。
いつものように雑務をこなし、リンガフォンのテープも聴いた。
先週の金曜日から光通信になったので、契約特典をゲットするための手続きをやろうとしたのだが、けっこう手間取った。
結局、2つだけ。まだやることがたくさんある。
少なくともビジネス原稿を1セクションはやろうと思い、夕方から昼寝態勢に入った。書斎はムカデが出ないか危険なのでリビングのソファ。昼にそこで蚊を一匹発見したのだが、ソファに座ったらすぐ刺された。キンカンを塗って、電子蚊取り器をセットした。
蚊に刺されたのは左の腕と脚。痒い。次第に全身が反応し始めた。どうもアレルギー体質である。
体が花瓶……じゃなくって過敏になって、眠れない。寝不足で頭痛なのに……。
午後9時半からビジネス原稿に着手した。けっこう手ごわい内容だ。何を言いたいのか決まらない。
結局、1セクションを終えて、就寝は4時近くなってしまった。
6月16日(火)「平穏な一日・・・の風さん」
2日連続4時就寝ではダメージが残る。今朝は10時半起床(笑)。外は小雨模様。天気予報通り。一人で留守番。
マイペースで雑務を片付けた。少しずつしかやっていないが、毎日やっていれば「チリも積もれば山となる」のたとえ通り、長女の部屋の景色が変わってきた。このペースでいけば、来月には電気屋を呼んで、長女の部屋の壊れたエアコンを交換できる。
今日は珍しく書斎で読みかけの文庫を読み終えた。今年通算24冊目の読了。多そうに見える数字だが、アクティブに行動している分野が多いので、3分の1くらいに換算した方が実態に合っている。
今日は昼寝なし。リビングで休憩するたびにストレッチをやっている。これはけっこう効く。
その後、ムカデが出てくる様子もなし。
夕方には雨もすっかり上がった。
午後9時半からビジネス本の執筆の続き。頑張って、今日も1セクションを書き上げた。就寝は午前2時。ちょっと遅いな。
6月17日(水)「多忙な年金生活者・・・の風さん」
午前中、一気に外の用事を片付けた。
かかりつけの病院へ行き、帰りに薬局で薬のまとめ買いをし、JAで振り込み、別のATMで入金。
帰宅して軽く昼食を摂った後、リンガフォンのテープを聴き、続いて、先日壊れたキャメロンのパワーウィンドウスイッチとシニアグラスの修理にとりかかった。大事に保存してあった瞬間接着剤が硬化してなかったので、ばっちり修理できた。この修理でどれだけ出費がおさえられたか、想像するだけで興奮する。
アクアの任意保険の証書が郵送されてきた。ドキドキしながら開封したら、ものの見事に掛け金が下がっていた。
その後、ようやく明日の非常勤の準備を始めた。夕食までと時間を決めていたが、残念ながら完了せず、明日の午前中に持ち越した。
夕食後、ビジネス原稿の続きをやった。1セクションだけと決めていたが、けっこう手こずった。
結局、就寝は午前3時近かった。
6月18日(木)「なかなかセミナーモードにならない・・・の風さん」
今日はレポートを返却する予定日だったので、朝から採点に取り組んだ。今回が3回目になるが、少しずつレポートの内容はよくなってきている。しかし、学生たちの将来(社会に出てからのこと)を考えると、もっと指導しなくては。
採点結果をスキャナーでpdfに保存し、メールチェックもし、あわただしく出発。
小雨が降っているあいにくの天気だ。除湿のためエアコンを使っているので、その分パワーを食っている。昨日直したパワーウィンドウのスイッチはぴったりとおさまった。
ゆっくり走ったのに(雨も降っていたのに)1時間半もかからず本山キャンパスに到着した。まだ時間があるので、ミスドでコーヒータイム。こんな余裕のあるような行動は久しぶりだ。
講義を無事に終え、すぐ自由が丘キャンパスの田村先生のところへ直行し、講義の中間報告と近況雑談。先生は、秋卒業のドクターのご指導でずいぶんと時間をとられているそうだ。やはり大学の教員にはならなくてよかったのかもしれない。
それからKKRホテル名古屋へ向かった。明日からのセミナーのために前泊するのである。自由が丘キャンパスからは約7キロで、ほとんど1本道。バス専用道路が設けられていて、珍しかったが、意外と走りやすかった。
ホテルのレストランで夕食にした。父の日の特別メニューが安かったので、それにした。ドリンクサービスで、生ビールを飲んだ。
部屋で明日からの準備をやっと始めたが、どうも頭が戻らない。ついさっきまで、非常勤講義のことやビジネス本の原稿や、来週のテレビの収録のことやらで追いまくられていたからだ。
仕方がない。徐々に頭を切り替えて行こう。
6月19日(金)「なんとかセミナーモードになった・・・の風さん」
名古屋城の見えるホテルで目が覚めるというのはなかなか贅沢な気分だが、あっぷあっぷの生活をしているとどうも落ち着かない。いわゆる貧乏性なのだろう。残りの人生が少ないと思って、もっと気持ちをゆったり持たなきゃいけないのに。
ホテルの朝食はよくあるバイキング。今朝は和食にした。味噌汁は赤だしだけで、名古屋のおもてなしなのだろう。私はもうすっかり慣れたが、東日本のお客さんには抵抗があると思う。
セミナーは10時に始まった。私の担当は明日の午前なので、今日は聴講していればいい。というか、頭を切り替えねばならない。
しかし、来週の収録も気になるので、関孝和の勉強も継続したい。
昼過ぎまでに、頭はセミナーモードにほぼ戻った。
午後7時にセミナーは終了し、受講者との懇親会になった。講師4人も全員そろった。
セミナーのタイトルは新任工場長セミナーなので、受講生の平均年齢は50歳を過ぎたばかりぐらいだろう。立派な年齢だが、私よりだいぶ若い。どうもこういう関係になかなか慣れない。いつまでも書生気分でいたい。
昨夜はグラス一杯の生ビールで大丈夫だったが、今日はコップ3杯くらいのビールで何事も起きなかった。つまりアレルギー反応はおさまっている。体調はだいぶ戻ってきたようだ。
留守宅のワイフからのメールで、なんと、風呂場でムカデが出たそうだ。ワイフはつがいの片方だろうと推定しているが、私が逃がした奴かもしれない。わざわざ家の中まで入って来なくてもいいのに。
明日は朝が早いので、さっさと寝ることにした。
6月20日(土)「反省多いセミナー講師・・・の風さん」
6時半起床。最近なかった早起き。三文の得はあるだろうか。
朝食はパンにした。部屋もそうだが、レストランからも名古屋城が見える。朝からジョギングしている人もいる。道路に勝手に駐車している人もいる。人はさまざまだ。
プロジェクターの位置を調整してスライドがなるべく大きく投影されるようにした。ビジュアル講演は、作家だけでなく、ビジネスマンとしてやるときも同じだ。
退社してからセミナー講師を何度か経験させてもらったが、グループディスカッションなどを通じての、聴講者同士の情報交換が最も貴重な気付きや成果になることを実感しているので、午前中の私の持ち時間の中で、その時間を半分強確保してある。レクチャーもその議論が進むように用意した触媒かそれ以上のカンフル剤だ。
しかし、終わってみたら、私の触媒あるいはカンフル剤の効果はほとんどなく、力不足を感じた。
今回の講師は全員最後まで残り、予定時刻に解散となったが、私だけ反省材料をたくさん抱えてキャメロンに乗り込んだ。
真っ直ぐ帰宅した。
疲労のため、雑務を少しするのが精一杯だった。
6月21日(日)「電話打ち合わせ・・・の風さん」
昨日でセミナーは終了したが、緊張は解けない。今週もスケジュールは高密度だ。
東京でテレビ番組の収録があるので、その前にディレクターと電話打ち合わせする約束になっていた。
既に台本のバージョン1は届いている。
予定通り電話打ち合わせをやった。途中の休憩をはさんで3時間半に及んだ。
時間がかかった理由は、ディレクターが実に和算をよく勉強していて、私は嬉しかったからだ。基本的に先方の希望に沿うつもりだが、これだけ和算をよく知っている人は、この際、しっかり情報を提供して、和算シンパにしておきたい。それで、つい力を込めて、よけいなことまでしゃべってしまった。ディレクターには申し訳なかったが。
明日、東京でも打ち合わせがあるそうなので、電話打ち合わせで述べたことを台本に書き込んで送ることにした。
それが完成したのは午前零時だった。相変わらず仕事が遅い。
今日はビジネス本の執筆を再開するつもりだったが、できなかった。
6月22日(月)「相変わらずの低能率・・・の風さん」
ビジネス本の挽回をしなければ、と普通に起床したが、イマイチ元気が出ない。こういうときこそ、普通に雑務を黙々とこなす。
朝食後リンガフォンのテープを聴いたが、だいぶレベルが高くなっている。40年以上前にも苦労したんだろうなあ、と思う。
不足している名刺も印刷した。だいたい雑務が終わったので、昼食にし、その後、ソファで横になったら、あえなく爆睡。
結局、3時間も寝てしまい、目覚めたらもう夕方だ。
インスタントコーヒーを飲んで書斎に戻り、ようやくビジネス本の原稿に向かうと、ワイフを駅まで迎えに行く時刻になった。
夕食後、あらためて原稿執筆を再開したが、1セクション仕上げるだけが精一杯だった。
就寝は午前2時だが、昼寝しているので、自慢にもならない。
明日は上京の準備もしなければならない。
6月23日(火)「上京の準備・・・の風さん」
明日テレビの収録がある。台本の改訂版を昨夜もらったので、もう一度セリフの書き込みをすることにした。
これがなかなか時間がかかった。『塵劫記』の問題について解説する場面もあり、どうしようか非常に迷う。結局、良い案は浮かばなかった。
専門的な数学用語の解説も求められていて、こっちの方がアイデアが浮かんだ。ジョークを思いついたのと、専門家とは違った解説に気が付いたからだ。これならいける。
今回の上京では、毎年見学しているのだが、東京ビッグサイトでの「設計製造ソリューション展」にも行く。執筆中のビジネス本の原稿のために、最新の知識を手に入れるのが目的だ。
その準備で、今日は原稿執筆がまったくできなかった。
明日は朝が早いので、いつもより早く就寝した。
6月24日(水)「初めてのテレビ番組収録・・・の風さん」
早起きした。頸椎症など体調はそれほど悪くない。
ワイフに駅まで送ってもらい、名古屋までは安静にして体力を温存し、車中で飲むコーヒーを買って新幹線ホームへ駆け上がった。乗り換えが10分ほどしかないので、テキパキとやる必要がある。
ホームに出たら、何となく今にも出発しそうな雰囲気だったので、指定席のある車両の手前から乗り込んだ。
ところが、しばらく進むと、指定席に他人が座っている。それを見た瞬間、失敗に気が付いた。ホームの反対の新幹線に飛び乗ってしまったのだ。
グリーン車なので、その車両が出てもすぐ出入り口がない。やっと出入り口にたどり着いたら、閉まっていた。こだまに乗る予定がのぞみに乗車してしまったのだ(あとで調べたら、2分早い出発)。老化してボケてくると、子供時代に戻ってしまう。私の子供時代はそそっかしいと言うかおっちょこちょいの少年だったのだ。
新横浜まで行き、そこで降りて、後からやってくるこだまに乗ることにした。自由席なら検札もないだろうとどんどん端っこの車両へ歩いて行った。うまい具合に空席があった。
しかし、期待に反して車掌が検札にやってきた(汗)。事情を話したら、目をつぶってくれた。感謝。
新横浜で降りて、待合室へ行き、約1時間、Macを開いて台本の復習をした。
収録スタジオは銀座だった。早く出て来たので、しっかり昼食を摂り、喫茶店でコーヒーも飲みながら、また台本のチェックした。
地下2階のスタジオで初体験の番組収録をした。年寄りはもう開き直っているので、楽しむことにした。私の態度がでかいせいか、誰もケアしてくれない。収録直前に自分のiPhoneで司会とアナウンサーの3人の写真も撮ってもらった。
まったくリハーサルもなしで、進行していくので、この番組どころか、35年間テレビをほとんど見てこなかった私はとまどうことばかりだった。それでも何とか対応できたのは、亡くなられた真咲なおこさんのエグゼクティブ名鑑に何度も出させてもらったからだ。
とりあえず終了してホッとしたが、一番しゃべりたかった部分で失敗した。準備していたジョークが言えなかったのと、その数学専門用語の説明が中途半端になってしまったのだ。私がもっと図々しかったならば、そこだけ撮り直しを要求しただろう。それもできなかった。
そんな後悔もあったが、もう前を向いて歩いて行くしかない。
オンエアは、7月3日(金)午後10時、BS−TBS「THE歴史列伝」である。
久しぶりにギャラリーオキュルスに寄って近況報告をし、それからホテルにチェックインした。
晩御飯は、父の日割引クーポンがメールで届いた近くのファミレスですませた。たった一人でも父の日割引クーポンが使えたところは先週のセミナー開催ホテルのレストランと同じだった。
展示会見学のための事前準備をして、午前2時ころ就寝した。
6月25日(木)「展示会と出版社訪問・・・の風さん」
上京前に3日間のタイムスケジュールはすべて作成済みだった。今日もそのスケジュール通りに行動した。
東京ビッグサイトに着いてコンビニでパンを買って朝食にし、入場登録をして会場に入るとすぐAmtecのブースを訪ねて上田社長に挨拶し、早々に取材活動に出発した。
昨年もそうだったが、安倍総理からお祝いメッセージが届いている会場は入場者でごった返していたし、出店者側の元気ぶり(コンパニオンをたくさん雇ってノベルティを配りながらブースに立ち寄ることを促す)を感じた。気楽な見学だったら、欲しいノベルティを配っているブースには必ず立ち寄って、袋をいっぱいにして楽しむのだが、今回はその余裕はない。
今日は作戦通り、3次元CADからCAM、CAE、PDM、PLMといった順番で聞き込んでいった。
3日間は体力勝負なので、昼食はちゃんとレストランで食べた。
2時半に会場を後にし、電車を乗り継いで某出版社へ向かった。売込中の原稿を本にするための条件について話し合った。困難な条件ではないが、楽勝というわけでもない。とにかく全力で挑戦する。それが私のやり方だ。
打ち合わせ後、知り合いの編集者と会えたので、展示会でもらえたノベルティをすべてプレゼントした。
そこから30分かけてまた別の出版社に向かった。ここでは企画した作品を出版するための作戦会議だ。ここへ来る前に寄った出版社でもそうだが、やるぞと決めてすぐ出版につながることではない。粘り強い活動が何とか花開いて本になるのだ。今日の結論は、来年の出版になるように着実に進めて行きましょう、ということだ。
ホテルに戻って、ひと息入れて、晩御飯を食べるために外へ出た。近くのイタリアンといった感じのレストランに入った。ビルの2階で駅前の雑鬧がよく見える。ウィークデーの仕事帰りと思われる人の流れだ。若い人が多く、外へ展開したカフェテリアにも人がよく出入りしている。平和ボケは感心しないが、景気が戻っている様子を眺めるのはよいものだ。
今夜も展示会見学のための事前準備をして、午前2時ころ就寝した。
6月26日(金)「今日も展示会と出版社訪問・・・の風さん」
エクスプレスチェックアウトをして駅へ行き、コインロッカーにキャリーケースを預けた。
天気予報は夕方から雨になるらしいので、折り畳み傘は持った。
昨日より少しだけ早く東京ビッグサイトに着き、すぐにパンの朝食。入場登録は済んでいるので、さっそく取材に入った。昨日最後に寄ったブースで聞き込みが途中だったので、先ずそこへ行き、同じ担当者を指名して話を聞き、原稿に盛り込む可能性を強く感じたので、その旨説明すると、マーケティング部長を呼んでくれた。昨日の某ブースでも同じだった。どちらも女性。
満足して、また昨日訪問して聞きそびれたブースへ行き、ダイレクトに質問したら、マーケティング部長が出てきた。女性だった。
もう1ヶ所、同じように再訪問して聞きそびれたことを聞いた。私の知らない技術的な回答があって満足した。取材目的は話さなかったが、どこでも名刺交換はしているので、必要になったらメールすればいい。
昼食は時間を節約するため、弁当にした。
昼食後、つい色気を出して、3Dプリンターのブースに立ち寄った。新型のコペン(ダイハツ)が展示してあったからだ。
続いて、デジタイザのコーナーを見に行くと、様々な計測に使用されている。これはまた、リバースエンジニアリングの強力な武器だ。
とうとうタイムリミット。
午後3時で会場を後にして、電車を乗り継いで3つ目の出版社へ。小雨が降り出していて傘が役に立った。
1時間ちょっと楽しく打ち合わせをして撤収。あとは私が頑張るだけだ。つまり、ビジネス本の打ち合わせでした。
今日も帰りにドイツ風のパンを購入して、正しい新幹線に乗車した(笑)。
車中では、夕食に弁当を食べ、日経新聞を読み、パソコンも開くという元気さだった。
午後10時過ぎに帰宅したが、おはぎが2個待っていた。
6月27日(土)「マイペースに戻ったら・・・の風さん」
久しぶりにマイペースの時刻の起床となった。つまり、睡眠は十分ということ。それなのに、体調はあまり良くない。やはり緊張する場面が控えている方が体調も良くなるのだろうか。ただし、血圧を測定してみたら、意外と低い。プレッシャーがないと血圧は低く、肉体的には不調になるということ?
ま、とにかく、これまでのように雑務を一つ一つこなしていったが、上京中に起きたことの後処理もいくつか必要だった。
さらに、『数学文化』向けの掌編小説の初稿ゲラも届いたので、その校正作業もした。
2週間ぶりの非常勤講義の準備も開始した。
しかし、結局、ビジネス本の原稿執筆を再開することができなかった。
明日は寝坊ができないので、早目に就寝した。
6月28日(日)「プレミアム商品券ゲット・・・の風さん」
全国あちこちで似たことが企画されているが、住居地は町制開始60周年を記念する形で、プレミアム商品券が発売される。
昨日の新聞の折り込み広告で知り、早速エアコンを注文してある電気屋に電話して、使えるか確認した。
そこで、今朝の出動となった。
発売開始30分前に着いたが既に300人くらいの行列ができていた。でも、間に合った、とひと安心。
その後、あとからあとから住民が購入にやってくるではないか。
無事に購入を終えて帰る頃でも、2000人ぐらい並んでいたと思う。
結局、この午前で売り切れ、午後や明日の販売は中止となった。2倍用意しても売れただろう。
健康診断からワイフが戻ってきたので、ワイフの指示でアクアをカリチューへ持って行った。車検なのである。
往復2時間かかり、すっかり疲れてしまった。
そして、書斎でパソコンに向かっていると、やけに腕が痒い。変だなと思ってチェックすると、今朝の行列で、日焼け。とほほ、何という虚弱体質。
仕事が遅れているので、徹夜覚悟で書斎にこもったが、結局、寝てしまった。
6月29日(月)「一難去ってまた一難・・・の風さん」
寝不足だったが必死に起きてワイフを駅まで送った。雑務をこなしつつ、午前10時を待った。ケーブル電話から光電話に代わるタイミングである。ルーターへのケーブルの接続を変更して待つこと約30分。試しに固定電話にかけてみたらつながった。無事開通。続けて、光電話を使って、ケーブル会社に解約の連絡をした。
やっとやっちゃんへ電話する余裕ができたので、かけてみたら、五大路子さんは東北巡業中で、先週の長谷川伸の会には出席できなかったそうだ。かなり強行軍のスケジュールらしく、お疲れとのこと。お疲れもシンクロしている感じがして、嬉しかった(ファン心理)。
その後、キャメロンで出発。家電量販店に寄って買い物をしてから、名古屋の病院をナビにセットしてから再出発。
不思議と田舎道ばかり通るコースを案内されて、名古屋の市街地の病院に着いた。まもなく長女も地下鉄で到着。
ワイフは元気だったので、ホッとした。長女と病院の喫茶室へ行き、遅いランチを食べた。
病室に戻って、疲れた私はソファに横になった。
5時に私だけ先に帰った。明日はワイフを迎えに来るので、帰りにGSでキャメロンの自動洗車をした後、災難に見舞われた。洗車のためにたたんだドアミラーを手で元に戻そうとしたら、根元でポッキリ折れたのだ。軸になっている鉄部品が錆びて真ん中で切断、片方はドアミラーに、もう片方はドアの固定部に落下していた(涙)。カリチューに電話。
帰宅して片付け物をしてから、町内会の組長業務で集会所へ、配布物を取りに行った。
どっさり荷物を抱えて家に戻ると、どちらかの猫がリビングでキャットフードを戻していた。一難去ってまた一難。
昨日の残り物で夕食にし、書斎にこもって非常勤講義の準備の続きを始めたが、疲労などで頭脳がオーバーヒート状態。
遅く帰宅した次女は、徹夜で明日のバイトの準備に取りかかった。
6月30日(火)「またやってしまった・・・の風さん」
曇り空の下、組長業務として、近所に配布物を配ったあと、代車のパッソで名古屋へ向かった。
元気なワイフをパッソに乗せて家路についた。
キャメロンを修理に出すことになるので、途中でパッソに給油してから、GS近くのレストランでランチ。いつも大入り満員なのに、今日はなぜか空いていた。
スーパーで買い物をしてから帰宅して、しばらくして長女を駅まで迎えに行った。
長女の手作りチョコプリンを食べ終わる頃、次女も帰宅。父の日のプレゼントをもらった。ラッキー。
疲労困憊の私は安心して昼寝の態勢に。
夜は4人で外食に行くことにしていたが、ここでまたハプニングが起きた。雑誌の応募でレストランの割引券が当たっていた。今日が使用期限だったので、そこへ行くことにしていた。予約しようと電話をかけたら通じない。ふと割引券を見ると、今日は定休日(毎週火曜が定休)。もったいないことをした(ディズニーリゾートのチケット事件と似ている)。
夕方目覚めて、今夜は回転寿司に行くことにした。実は、私は、回転寿司に行ったことがない。ワイフは先日、実家で両親を回転寿司へ連れて行っていたので、同じ系列店に案内してもらうことにした。
外は本格的な雨になっていた。
寿司屋だからといって、ネタは何でもあるわけではないようだ。寿司屋でバイトしていた次女はご機嫌だった。長女も好きなネタだけ食べられるのでうれしそうだ。せっかくのコミュニケーションの機会なので、先週のテレビの収録の台本を見せて解説したが、あまり関心はなさそうだった。
たっぷり食べたつもりだったが、たいした金額ではなかった。一人平均8皿も食べられなかったからだろう。
明日は早起きして頑張るつもりで、さっさと就寝した。
2015年7月はここ
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